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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
私のものはなにもない、私も私のものではない
果たして私のものと呼べるようなものはあるのか?
私の肉体は勿論わたしのものではない、鏡を見れば顔が写り、その神の創造物には
ただただ驚くばかりだ
私の目の前のスーパーで買ったリンゴも私のものではない
リンゴは神のものである、否いな、神そのものなのではないか

この呼吸、このしゃべり、この髪の毛
なんという素晴らしいものだろうか

この見ること=視覚とは勿論脳内の素晴らしい連携の結果であるが、
この視覚の結果を知覚し
意味づけそして自分のものと錯覚させるのはまさに神の業・マーヤである


才能があるのも才能がないのも、
時間を認識できるもの、
聴くことが出来るもの、出来ないのも
相手を認識できるのも神の業である
脳が正常には機能しなければ、苦しみも自尊心もなく、
悲しむことも、感動することも出来なかったであろう


内面の意識も、知覚も、記憶も、思考も、思考を理解することも、
日常の嫉妬心も、自尊心も、“「私のもの」という錯覚”も私のものではない
憎むことも、プライドも、恐怖心を抱くことも
どこを見渡しても、自分に出来ることはなにもない、自分のものは何もない


この私という「私という観念」さえも私のものではない。自分のものではない
自我も、そして自我意識が形成されることも
よく考えれば私には出来ないのだ
私が私を生み出したのではない
自分では行為を為す事が出来ないように
内部を見ても、外部の肉体をみても、どこにも私のものなど存在していない

なにせ私自身が私のものではないからだ


有り難い
有り難い


私のものなどなにもない
私の所有などなにもない
私自身が私のものではないからだ


すべては神のもの
自分のものだと思っている土地や財産や才能や肉体や能力も名誉も罪も行為や出来事も
すべてのすべてが自分のものではなくて神のものである

私が生まれたのではない、神が誕生させたのである、というより誕生している
のは「誕生していない神」なのではないか。
肉体も私ではなく、諸体も私ではなく、私という記憶も私ではなく神のものである
その私といっている個別的霊魂も神の一部であるからには
一体どこに分離した私がいるのであろうか?


事実は誕生も死亡もしていないからだ。
故に神が肉体を死亡させるのであり、個別的霊魂を自我や諸体を伴って肉体から
離れさしている。それを自分が肉体から去ったのだと思っているのは個別的霊魂の
錯誤であり、根源がその錯誤を起こしているのである。

家も財産も、持っているものも、よく見ればすべては神のものに他ならない
私達は身体ではなく
まして私達に身体を動かすことは出来ないのだ
これらのことは身体をよく観察すれば自明のことだ


そして私達の自己意識、私達の「私という観念」すら私達が作ったのではない


私達である私という観念も神のものなのだから
一体何をさして
私のものといえるのか


私のものは何もない
内も外もすべてが神のものである
苦しみも悲しみもこの私も神のものなのであるといえる
いないな神自身なのかもしれない






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【2012/11/08 23:36】 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(1)
<<主体は統覚機能(個別的霊魂)ではない | ホーム | 自他を超え、善悪を超えて>>
コメント
はじめまして
いろいろ考えさせられるお話ありがとうございます。
また、これからも寄せていただきたいとおもいます。
【2012/11/09 17:30】 URL | 竹林乃方丈庵 #LkZag.iM[ 編集]
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まとめ【私のものはなにもない】
果たして私のものと呼べるようなものはあるのか?私の肉体は勿論わたしのものではない、鏡を見れば顔が写 まっとめBLOG速報【2012/11/15 17:29】
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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