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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
私達は鏡そのものなのかも知れない
鏡は何であれ、鏡に映っているものを映しだしている
私達は空の鏡であり、空の器である
その器に入った者が、私は○○だと自己主張し、自分は
自分だと思っている
或る日には、或る記憶体が入っているだろうし、次の日には
又異なる記憶体が入ってきて、「瞑想をして空っぽになったら
危険だよ、そんなことをしたら魔が棲み着いてしまうよ!!」などと言う
けれども、じつはそう言っているご本人自身は、その空っぽの器に
入ってきた記憶体なのである。
実際には私達は誰でもなく、その空の器が私達なのであって、私達とは
いないのである。私達とは単なる空の器若しくは、何でも立ち向かっている
心を映している鏡自体なのである
私はいない
私とは鏡であり、空の器なのである
現在に地球人類の殆どはその空の器には「私という観念」が生み出した
或る人格の記憶や、エレメンタルが棲み着いている
その記憶の反応がなくなり、エレメンタルの思考が消滅したとき
その器は空になっており、その空の状態が良ければそこに思考を超えた
気づきが起こるのかも知れない
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【2017/08/27 07:24】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
いつも同じだが神しかいないのではないか
いつも同じ思考が起きている
神しかいないのである・・と言う思考が

非常に間違いやすく、自分勝手に捉えられる恐れがあるので
初心者には、このようなことは言ったらまずいのかも知れない

しかし、実は現象界すら神しかいないのである
この輪廻転生する三界は神の中だったのである
敵も神であり、味方も神である
森羅万象全ての全て、あらゆる次元が神のものであり神の中だ
あなたは神であり、私も両者とも神の演技である
全ての息しているものの意識は神が起こしておられる、
心臓の鼓動や空気や時間や空間のように
あらゆる次元の意識は神のものである。高度な意識も最低の意識も
思考を超えた気づきから、本能だけの条件反応まで
あらゆる段階のセルフエピグノーシスは神のものである
善悪は神のもの、高低は神のもの、最高は神のもの最低は神のもの
恐怖は神のもの、愛は神そのもの
殺す者も殺される者も同じ神、憎む者も愛される者も同じ神
天使は神の使い、それと同じように悪魔も神のお使い
両者が神のお使いとして働き、現象界は回転している


脳は神のもの
不完全で障害のある脳も、不具者も天才も同じ神そのもの両者に何の違いもない
五感は生命と同じく神のもの
知覚は神が起こしておられる
認識は神が起こしておられる
記憶は神のものであり、多くの次元のある記憶はそれぞれが神の記憶
あらゆる次元の意識、あらゆる次元の意識の結果が神のものであるように

肉体のみならず形成過程のサイコノエティック体も高級諸身体も神のもの
個別的霊魂も神のもの
巧妙な自我も神のもの、神の演技
最低のアメーバから最高の人間そして神々も神のもの
私という観念も神のもの
私という観念が生み出した自我により生じた想念形態も神のもの
生き霊も死霊も神のもの、わたし・自我も神のもの

内部は外部と同じように一切は神のもの
神以外に何も存在していない

あらゆる人のあらゆる意識あるものの内部と外部は神のもの

自我は私という観念は
行為や思考と同じく神がお使いになっている神のものである


【2017/08/02 06:11】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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