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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
熟睡
熟睡はマインドにとっては無と映っている
熟睡をマインドは見ることが出来ない・・マインドではないからである
私達である、現在の知覚と意識とは鏡を被っているマインドであり
マインドである知覚や意識にとって熟睡とは無でしかない。

熟睡はマインドにとっては知覚や認識が出来ない
熟睡というものはマインドの知覚や認識には及ぶ事が出来ないからだ
けれども熟睡が無ければマインドも無く自我もなく、知覚や
認識もなく、世界も無い。

熟睡という未知なるものは既知なるものをあらしめている
のではあるけれども

既知なる私や思考や心にとっては未知なるものであり無と映っている

熟睡、それは気づきと呼ばれている
気づきは思考にとっては無であるが
思考がないときそこに気づき(熟睡の観照がある)
気づきは思考を観照している
熟睡は気づきであり
マインドには未知だが
気づきを被っていたマインドが去ると本来の気づきが鏡に顕れる


鏡とは個別的霊魂(統覚機能)のことであり
個別的霊魂(統覚機能)は鏡であるが、
その鏡は現在の所、マインドによって被われている
従って鏡は自身の姿=気づきに気づかない

気づきに気づくのは気づきではなくて、気づきの
一部である現象界の接点である個別的霊魂である

気づきは気づきに気づかないからである

マインドはこの個別的霊魂から放射されており
この個別的霊魂を被っているマインドは個別的霊魂の内奥から
放射されている
といわれる

従って個別的霊魂からマインドが離れるのも
熟睡が起こしており
気づきがマインドを投射し、マインドを晴らすのではないか





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【2017/02/20 10:08】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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