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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
自己観察
恐らく自己観察がこの無明である私達にとっては
頭脳の自己変革をもたらすために
最大に重要なことだろう


この自己観察という場合の自己とは
勿論個人ではない
私は個人だと思っている、この人類同一の思考であり
この無明の意識の事
これが私だ
この個別に思い思われている私とは人類に同じの同一の「私という観念」だ
自分が生きて
自分が行為して
自分が思考していると思っている
この人類にまったく同じ
同一の質料・物質「思考自体」「マインド」「根本無明」
即ち
その私を自己観察するその私とは
人類に同一の私という観念・根本無明のことである
久保栄治という個人は個人だと思っている根本無明だ
個人だと思っているのは個人だと思っている人類に同一の私という観念である
この私という観念である思考が思考自体を自己観察すること

この思考による思考の自己観察が

頭脳細胞の変化と解放をもたらすことだろう

なぜなら
気づき(正見)とは最初からあるからで
大切なのは
この自己観察している無明の方だからだ

無明が無明の奥底に至ることが
脳の条件付けの打破に(脳細胞の変革)繋がる、と









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【2014/01/22 08:11】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
私はいない
マーヤとは何か?
私がマーヤである
私は存在していないのに
自分が存在していると思っている
その思い、その実感、その実在感、
それが全くの嘘
完全なるマーヤである



実際には
私は
行為しておらず
生きておらず
考えておらず
感じておらず
知覚しておらず
認識しておらず
私とは、全く存在していない
私とは
起こっている虚像なのだ


私とはマーヤなのだ
私とは私という観念、私という実感だけなのであり
その実体感覚こそマーヤなのだ



私は決して実在ではない
存在していないからだ

起こっている行為が私という行為者の錯覚を生み
起こっている生命が私という自分が生きている錯覚を生み
起こっている思考が自分が思考しているという思考者の錯覚を生み
起こっている記憶が、自分が記憶している個人を生み
起こっている知覚が、私が知覚しているという逆転現象を生み
起こっている統覚機能が私と言う実感を生んでいる



私とはいない
根源の現象が起こっているのである


私とはマーヤである
根源のマーヤである




【2014/01/20 06:55】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
私とは起こっている虚像だ
考えや、思いや、感情や、知覚は私に関係なく起こっている
そもそも私それ自身・個人・自我・記憶とはシステム上で構築され起こっている虚像だからだ



私が考えているのではなくて
考えとは起きている事柄である、
脳内において起きている現象なのだ
私・自我・記憶は行為や思考には関与していないのである


私が苦しんでいるのではない
私が怒っているのではない
私が考えているのではなくて、考えが起こっており
その考えが私という観念で構築されているのであり
その起こっている思考が記憶となり
記憶の反応が機械的に起きている


その私という自我の記憶の反応も自動的に起こっている
そしてその考えというのが私という実感を含んでいる

それが故に
考えとは脳内に起こっているのにも関わらず
その考えという思考や想念や知覚や心というものが私という実感を伴っているが故に
私が思考している
私は恐れている
私が悲しんでいる
私の人生で、私が生きている・・という具合に
私という実態を実感しているのである
その私という実体感覚を実感しているのはマインドそのものである
決してマインドを観照している普遍的意識ではない
したがってこの意識はマインドの意識なのだ



だが実際には
私はいない
私という個人は虚像であり
心が生み出した嘘の実体感覚である
マインドの感じている虚像である





【2014/01/14 07:17】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
意識を静観しよう
私の意識なのではなく
意識の私である
私が意識を持っているのではなくて
意識が私という幻想を生み出している


それは私が行為しているのではなくて
起こっている行為が「私が行為していると実感している私」を生み出しているのと同じだ


意識もまた同じように
私が意識しているのではなく生じているのだ
生じている意識が「意識する私」という錯覚自体なのだ
その錯覚は意識自身であるといえる
その生じている条件づけられた意識が私という実感を持っているのだ
私とは存在しておらず意識だけが生起しているのだ


この私とは意識が生み出している錯覚それ自体なのだ



意識とは複雑で緻密なプロセスを経て
あらゆる脳から同じように生じているのであり
その意識が私という「架空の実感」=虚像
をあらゆる生き物の個体に生じさせているのだ
「私が意識している」
「私が行為している」
「私の人生で、私が生きている」
「私は真我だ」・・・と


行為、出来事、意識、そしてこの私
それらは脳によってあらかじめ決められているように
起こっている


行為、出来事、意識、この私
それらは起こっている。根源によって起こっている映像だと思われる。


そしてそれらは脳により、その脳とは根源のものに他ならない
根源は存在の顕れ・現象に他ならない









【2014/01/01 08:21】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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