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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
個別的霊魂側から見た場合
個別的霊魂とは心・マインド・記憶側から見た言葉であり
個別的霊魂から見た私とは記憶や心ではなくて分離していない
知覚不能、認識不能、意識できない未知なる
純粋意識であることだろう



それは同じく
マインドや記憶側から見て「空」「無」というように表現されるが
気づきから見た場合は
無や空ではなくて
無限であり金剛であるという表現になるのだろう

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【2013/12/31 07:27】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
私は誰か
私は誰か?
私とは誰か?
この問いに
わたしは今のところ観念的にだがこう答える


私とは本当は存在しておらず
ただ根源だけがいると

肉体も、諸体も根源だ
行為も根源である
欲望も、苦しみも、悲しみも、喜びも、自我も根源が自ら演技している

それを自分が思考している、行為している、と錯覚する私という観念も根源からであり
更に未知なる観照・気づきも根源である

頭脳も、意識も、自我も、個別的霊魂も
根源であり

内部も外部も全てが根源であり、この分離も根源からである


これら人間から神々までを使って
根源自身が演じておられるのであり

「私は実は存在していない」

私は誰かの問いには
「私はいない、誰もいない」
「ただ根源だけがあり
根源だけが生きている
「行為は起き、思考は起き、私は起こっているが
在るのは根源だけだ」

、、とそう思われる





【2013/12/26 07:31】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
誰も何もしていないし、誰も何も考えていない
アドヴァイタの聖賢は言う


誰も行為しておらず
誰も思考していないと
行為も思考も起きていると


肉体は最高傑作であり
眼球を動かす事も、瞼の開閉も、顔の表情の筋肉も、意志も、欲望も
記憶も、記憶の反応も、私も、統覚機能も起こっているのだと



私が思考している
私が行為している
私は私である
との実感は
無明であり、その私は錯覚だと
思考している私は記憶の反応に他ならず
行為している私も記憶の反応に他ならず
自分が生きていると思っている私も記憶の反応に他ならない




行為も行為していると思っている私も起こっている
自分が行為していると実感している行為者は行為に他ならないと



思考も自分が思考していると思っている私も起こっている
自分が思考していると思っている思考者とは思考自身であると



行為が行為者を生み
思考が思考者を生んでいる



行為も思考もそして私も起こっているといわれる






【2013/12/13 07:40】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
苦しみや悲しみはどこにあるのだろうか?
気づきの中には
いたろうとする意志もなく
私個人という意識もなく
痛みや欲望や苦しみや悲しみや希望や絶望はない


気づきには
痛みもなく、悲しみもなく、苦しみもない
この苦しみの知覚は肉体の知覚を、
自分の知覚だと思い込んだ
私という観念のもつ実感(個別的霊魂)なのだ

気づきの中には
思考はなく、思考の記憶である私も無い
思考なく、心なく見ている気づきであるからだ



肉体や記憶の私と同一化した
私という観念が苦しんでいるのだ


苦しみや悲しみや怒りや喜びの実感は
(それらは肉体の感覚や諸身体が生み出した記憶の感覚であり
その知覚や感覚を私という観念は自分と同一視したのだ)
肉体や脳が生み出した記憶の私と同一視してしまった
私という観念(個別的霊魂)のものであり
気づきのものではない


この人生の苦しみとは
身体や脳の記憶の私と同一視した私という観念(個別的霊魂)の中に
のみあるのであり
気づきの中には私という観念はなく
従って、私という観念のものである
いたろうとする意志も、失敗も成功も、希望も絶望もない


心を観照している
気づきの中にはそれらの悲しみや苦しみはない


それらの悲しみは心のものであり
心が肉体や肉体の私と同一視してしまったのだ










【2013/12/08 07:19】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
脳を被っている観念
心=脳は


条件付け(私という観念)によって汚染され混濁してしまっている


心はその観念を自分だと、その記憶を自分だと

即ち私とは個人だと信じ込んだ
(個人は存在しておらず、この脳=心は根源のものなのに)


その脳=心によって自身の混濁が正視されたとき


条件付けから解放された、その脳=心は澄み渡り


輝く太陽が映し出される


と教えられている


霊魂が私という観念に被われ、自分は全体であるのに個別だと信じたのだ










【2013/12/01 08:11】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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