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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
熟睡中の意識について
熟睡中の意識について

日中に目覚めている熟睡の意識とは
幽体や霊体の脳の意識、サイコノエティック体の意識、若しくは個別的霊魂の意識のことであって
「熟睡という脳の状態及びそれと一体化している個別的霊魂」を見ている意識を超えている意識
即ち自己に目覚めている意識
自己観察、自己凝視の目ではないと思います。



観察されている自己とは決して自己ではなく、
その観察される対象を自己とは別ものとして観察している自己も
「私という観念」の自己であって自己ではないといえましょう
意識している私も決して自己ではなく、意識されている私も決して
自己ではないといえましょう



何故ならそれは
未だに中心があるからです

確かに熟睡時には脳は眠っていることでしょう
脳のある部分は眠ることが必要ですから


しかし呼吸と心臓は決して止まりません
この呼吸と心臓を動かしている意識こそ
熟睡中も、大脳の前頭前野が活動を停止していても
決して停止していない脳の中枢部に接合している意識を超えている意識なのです



そういうことで
熟睡時には眠ってしまっているけれども
覚醒時と夢見時の意識を見ているところの
日中にも関わらず目覚めている熟睡時の意識とは
決して
熟睡時に熟睡を観照している自己観察している目ではありません
その目は個別的霊魂の目です
脳と完全に一体化してしまっている
転生している本体の目だと思われます



クリシュナムルティーが言うように
この本当の自己観察している意識とは脳の意識ではないので
脳が熟睡していることを観察しているのですし
前頭葉が熟睡し活動を休止していても
決して活動を停止しない脳幹に位置し、心臓に位置している高次の意識のことであり
それは平常の覚醒意識状態でも、夢見時にも、熟睡時にも勿論活動しております
しかしそれはあなたのいう
熟睡時には中断してしまう脳と一体化している個別的霊魂の意識ではありません


クリシュナムルティーのいう
自己観察している目とは
熟睡時にも拘わらず、中断されることのない意識であって
熟睡時には中断されてしまうが日中と夢見時にも見ている熟睡の意識ではありません
熟睡の意識とは通常の人生では滅多に意識化されない個別的霊魂の意識なので
それは希有な現象であり稀な個別的霊魂の意識の顕在化ですが
その意識をクリシュナムルティーのいう自己観察の目と同じと思うのは
誤りです



クリシュナムルティーは
その平常の活動している脳の意識を
熟睡時や夢見時や熟睡時に
見ている目のことを自己観察と云っているのであり
それは各体の脳や個別的霊魂の
日中にだけ覚醒している意識は
いまだ私という観念が脱落していない状態の個別的霊魂の意識
即ち熟睡によって中断されてしまう意識は
個別的霊魂の意識であって
決して自己観察している脳幹と心臓に位置する個別的霊魂の内奥の高次の意識ではないと思われます







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【2013/09/12 08:19】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
思考は物質だ
思考は物質だ
ゆえに物質も思考だ
物質も思考も生み出されているものである
その、それを生み出しているそれとは思考でも物質でもない
思考や物質ではないものが
思考や物質を生み出している




この思考でも物質でもないものとは何だろうか?
心を生み出しているものとはなんだろうか?



感覚と知覚と統覚機能を支え、記憶を維持させているものとはなんだろうか
心を支えているものとは何だろうか?
この個別認識なるものを支えているものとは
非個別的なるものである、では、それとは何か


通常の思考と物質及び私という観念のプロセスを内部で捉えると
万人共通の熟睡から
私という観念が生じて
その私という観念から思考が生じていると思える




この熟睡こそが
生命を維持し、保持し、システムを支えている
意識も
想念も
思考も
行為も
この生命そのものである熟睡が支えている
これは意識を超え、心を超え、知覚や認識を超えている


熟睡がなかったなら
私という観念もなく
行為もなく
行為しているという実感(錯覚)も生じない


この熟睡は私という観念のものではない。
即ち私のものではない
熟睡とはあなたのものでもわたしのものでもない
物質ではないからだ。物質を生じさせている空であるからだ。


これはこの私のもの、あなたのものという所有の観念が起こる
以前のものだからだ
すべての人類は、この私のもの、私、という所有の観念に汚染されているが
これらの観念は熟睡から発生しているものであるが
熟睡はこれらの私という観念ではない



この熟睡は
意識を超え
私という観念を超え
身体を超え
行為を超えているが
意識をあらしめ、行為をあらしめ、身体をあらしめ
私という観念である自我をあらしめている


熟睡とは空といわれ
空であり、
頭脳側から、私という観念側から、意識側から、自我側からでは、
知覚対象外、認識対象外である為に無と捉えられているが
決して無ではなく
現象をあらしめているものだ
これが熟睡だ、熟睡という現象で起きている神聖なることだ


空若しくは熟睡・・これなくしては
夢を見ること(転生すること)もなく、覚醒していることもなく
意識も無意識もなく、行為もないからだ




これとは
誤って熟睡と捉えられているが
生命であり、生命を支えているものであり
意識を支え、現象をあらしめている
非個人的、非分割、非分離の根源的なものだ

これを古人は
空と仮称されたのかもしれない






【2013/09/07 07:01】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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