FC2ブログ
気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
意識はあなたのものである
近頃思うこと・・・


この意識とはあなたのものである
あなたが意識を使って生きておられるからである




この私に脳細胞を生み出せるか
この私にシナプスとニューロンを生み出し
千変万化の意識を、感覚や記憶や知覚や認識や統覚を生み出せるのか
使えるのか
常識があればすぐ分かることだ


この意識は「私」のものではない
「私」の意識ではない

意識とはそもそも「私」のものではない
意識が「私」を生み出し使っているのだ
身体が「私」のものではないように
諸々の「私」をつかって全体であるあなただけが生きておられるからである

それはこの「私」だけではない
実は
君の意識も
虫の意識も
魚の意識も
木々の意識も
妖精の意識も
すべては神の演技に他ならない

どうして
君や虫や魚や木々や妖精にそれ自身の意識を生み出すことができようか


全ての意識とは
あなたにしか
神にしか生み出せない
全体にしか生み出せない

このハートに位置する
自我は
転生している私とは
魂とは
あなたの演技に他ならない

全てのブラザー宇宙人も
地球人も
あなたの演技に他ならない
あなたが使っておられるからである


あなたが私という「私という観念」を使って
心を使って
演じておられるのが
この内部と外部に他ならない
それが意識である


全ての有情と無情は
全ての地球人と宇宙人は
全ての私を構成している私と君は
神そのもの
神の作りだしている私に他ならない


それがこの個人群
個別の私に他ならない

個別の私というわたし意識を生み出して
分離している意識を生み出しそれを使って
全体であるあなたが生きておられるのだ









スポンサーサイト



【2013/07/17 06:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
私が怒っている?
私が怒っている
・・・とその様に思われておりますが


怒りを私が創れますか?
意識を私が創れますか?
観察者を私が創れますか?


私が嫉妬している
私が憎んでいる
あなたはプライドが高い
・・などと一般には思われていますが

そうでしょうか
わたしや
あなたに
嫉妬や、憎悪や、恐怖や自尊心・プライドや自己関心が
生み出せるでしょうか



それとはまったく正反対に
これらの心が私という自己意識であり、
同時にそれらを対象として知覚している私であるのであって



嫉妬や憎悪や恐怖や自尊心やプライドや自己関心が
それみずからが自己を分離させ、それらを対象として
観察している自己自身を生み出し
それを見ている私とみられる対象であるそれらに分けているだけであって


実際には
嫉妬や、憎悪や、暴力や、恐怖や、自尊心や、プライドや自己関心という
属性を持っている
非個人的な心・マインドがあるのではないでしょうか


いやがらせや、深い無意識での暴力などそれらは非個人的な
マインドの一側面であり、それがこの私なのではないでしょうか
そのマインドが生きている限りは
内部と外部の分裂があり
内部と外部に、その暴力が投影され
暴力は絶えることがないことでしょう



ではそのマインドをマインド自身である私が
正直に
正面から自分自身をじっと
見つめられるでしょうか?


このマインドはどこから生じたのでしょうか?











【2013/07/11 07:59】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
意識は起こっている
意識は起こっている
意識は私が作ったのではない
意識が私だからだ




心は私が作ったのではない
私は私が作ったのではない
脳は私が作ったのではない
脳に入った私は私が作ったのではない

私とは意識であるから
私=意識は、私という意識も、その意識の中身も
来ては去って行くものにすぎない


脳が作られているように
この意識も
そしてこの私も生じ、来ては去って行く

私だ、私が、私のという私とは意識であり
その意識の持つ属性と共に、
脳と同じように
それは起こっている、そして滅する
しかし生命は死なない、そこから去っただけだ
この生命とは心や意識ではない。生命は私ではない、
生命は私や心や意識を超えている
生命が諸体というマインドを引き連れて肉体から去ったのである


通常
各体、各脳である意識は私であり
意識は私という感覚が有り
意識が私なので
私が意識している若しくは私の意識と思われているが


私も
脳も
意識も
心も
最高傑作である
即ちその裏表で一体であるものは
光も闇も生じているのである


意識それ自体が、私それ自体が
生じているものであるであるからだ


それは
愛憎、やさしさであり暴力であり
安らぎと恐怖
それら相反する二面性を持った心である



心は私が作ったのではない
私とは心であり
私は生じ又、滅している


肉体や諸体は生じ滅するように
この私という意識も
肉体や諸体と同じように
生まれそして滅していく


意識は作られたもの、生じているもの
私も作られ与えられたもの
私のものはどこにもなく
わたしもどこにもない
私とは来ては去る心であり
心に過ぎない












【2013/07/08 06:37】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(5)
現にあるものが最も神聖なものである
現にあるものが最も神聖なるものである
といわれています

現にあるもの(諸々の次元の私)とは
関係性を通じてのみ発見できると言われています
逆に言えば関係性を通じてのみ発見できるということ
関係性のみが「最も神聖なるもの」を発見できるのだと言うこと
自己発見はここからのみ始まると言うこと


この「私」を観念で自我と真我、個我と普遍我に分けるのは
巧妙な逃避の仕方
観念という罠に捉えられていること
教えや信仰や「聖人の模倣」ということで
折角のチャンスである
関係性から離れて行くこと
自己発見という恩寵から離れていくこと
ではありませんか



妻との、夫との、親との、子どもとの、友人との、上司との、部下との、同僚との
その立ち向かっている人の心こそ関係性であり、最も神聖なるものです
関係性こそ恩寵です
その立ち向かっている人の心こそ自己発見の唯一の鏡だと言うこと
その関係性という鏡こそ自己を映し出している自己発見の鍵だと
この現にあるものが最も神聖なるものであると
思考なく、分離なく、同一化なくこの鏡に映し出された自己を凝視する中
現にあるものが開示されると言うことでしょう
嫌な上司は私の姿であり、私自身です。意地悪なお客は私の姿であり
私なのです。


関係性・・・これこそ自分を現している鏡
自己発見することが可能な唯一の鏡で



その関係性を通じて
自己は開示されていくと
自己とは個人ではなく、どこまで続いており分離していないと
自と他にも、自我(エゴ)と真我にも
自と他にわけ、自我(エゴ)と真我にわけているものこそ
その関係性の凝視の中で開示されていくと言われます


その自己を非難無く、逃避なく、見る者として、見られているものとして
凝視することが
真に私に至ることなのだと



自己を真我と自我、個人と普遍的マインドに分割することは
単なる逃避の道、思考の働き、記憶の反応、心の常態であろうとおもわれます
それは、知識である教えや、精密なる観念に逃避する道だと思われます
真我に至る道や方法を開示することこそ思考の正体であり、分離しているマインドの
姿ではないでしょうか
方法やシステムを実践することこそ、これが真の私から離れる仕方なのです


そうではなく
現実の私、関係性で顕わにされている私を
分離なく、曇りなく、非難無く、見る私として、見られている私として
見ることの中で
変革は起こると言われます




【2013/07/05 08:28】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する