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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
夢の中の私と、夢を見ている私
夢の中の自分と、その夢の中の自分を非難してる自分は同じ自分であり

両者ともに思考の記憶の反応が生み出している私だ

対象を知覚しているものは「主客の分離があるマインド」であり

対象と分離せず、従って対象を知覚せず、対象がないものが未知なる次元の純粋精神であると思われる

思考とは知覚者と知覚されるものの両方に他ならない、とのその覚知が透明なる心であろう

即ち透明なる心とは、対象と対象を観察するものを分離せずに同一のものと

知覚しているものであるといえようか

思考と「思考を観察している主体」の双方が同一のその思考なのであると思われる

にもかかわらず、知覚している私と知覚対象を異なっていると間違って解釈し

それを対象と対象を知覚する主体とに分割し、分離しているのは

思考・私という観念(若しくは根本無明)なのではないか

その思考・記憶・私という観念によって心が混濁し、汚染された結果

透明なる心を思考という

「思考を対象とみている思考者」が覆ってしまい2重分離構造になっているのではないか



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【2013/04/20 08:11】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
私の自我(エゴ)
私の自我



この場合の私とは純粋意識のことで、未知なる純粋空間の普遍で
ある意識のこと、未知なる私のこと


自我とは「私という観念」が、すべての人類の脳と同一化して
いる
地球規模の「私という観念」のこと
即ち個々人の自我の事
「私は」「私が」「私の」の私のこと


この私という観念がそれぞれの肉体と同一化して
自分は個人的な自我だと思っているのがこの私の事
この私自我は他人の自我と異なっていると思っているが
自分の自我も他人の自我も全く同じ同一の自我である



この自我・私という観念+現在のパーソナリティー・心は
熟睡から
毎日
蘇生している。



熟睡中には
真の私に触れているのに
それを自覚できないでいるのが
私という観念に汚染されている
現在のパーソナリティーだ


従って
眠りに陥る直前と
眠りから目覚める(私という観念が目覚める)まえの瞬間


①現在のパーソナリティー(鏡・若しくは心)
↓↑
②私という観念(人類共通の自我)
↓↑
③想念、思考(その自我の記憶とその反応)

を見る事が出来るのではないか
勿論、「本来の私」はと知覚対象や対象知覚する私では
ないので
誕生しない限りは、未知なる私だ









【2013/04/08 07:28】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
熟睡中に何が起きているか
熟睡とは「海の一部である波」・「個別的霊魂・個別的鏡」
「純粋なるマインド」が
肉体及び肉体脳から離れ、
そしてまた
諸体及び諸体の脳から離れて

自身の内部である(鏡が鏡の)マインドの内奥に戻るプロセスであると思われる
(毎日行われている波が海に戻るプロセスのこと)

心(脳である記憶や思考や感情のことではない!)が肉体から離れて、サイコノエティ
ック体に留まっているときには夢を見ており
サイコノエティック体から離れ、高次諸体からも離れ
自分自身である(個別的霊魂である)普遍的根源に戻っているときが熟睡である
即ち
純粋なる心・マインド(この場合私という観念に汚染されていない純粋なるマインド)が
マインドの根源にいったん戻るプレセスのことを眠りと言っているのではないか


この毎日の眠りとは、シルバーコードに繋がっているので死亡しないが
死亡の時はこのシルバーコード(霊線)が切られるのであり
毎日の眠りと死亡とは似ていても若干異なっている


問題とはではどうしてそれを意識できないのか?である

それは
この個別的霊魂の状態、レベル故である、未熟なのである。
この個別的霊魂という鏡の汚れ具合(私という観念に汚染されている度合)
によって
この鏡(個別的霊魂)の意識があまりにも私という観念と同一化し
意識自身の意識が削少してしまっているので
熟睡中には諸体から離れて
この自身の内奥で純粋意識に触れているのも関わらず
それを自覚できない、即ち意識化できず
これを無意識(ブラックアウト)と捉えるので
熟睡となっているわけであると思われる
それは私達が本源から
この現象界に戻ったときの私達の状況が余りにも低次だからである
それゆえに
肉体脳やサイコノエティック体の脳の条件付けが解除されていないのである

私達(この場合の私達とは肉体でもなく、肉体脳でもなく、感情体や思考体や
記憶やその記憶の反応でもなく、私という観念・自我に汚染されている
個別的霊魂・鏡・心のことである)
は個別ではなくて本源と一つの純粋なる心マインドなのであると思われる
いまのところは
自我・私という観念に汚染されていても本来は汚れなき普遍の精神なので
あろう


【2013/04/06 08:33】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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