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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
観察されている自我とは、観察している私だ
この私・観察者によって観察されている私とは、どの私でしょうか?
それは意識的自己である私、すなわち意識があり意識している「自己意識の私」、即ち観察している私であります。一般には自我と言われている私です。マインドの私、神によって生み出され、神が使われている私です。

「観察者とは、観察者によって観察されているものだ」
「観察している私とは、観察している私によって観察されている私だ」それは共にマインドだ。

意識的自己である私によって、意識され観察されている苦しんでいる私、恐怖に戦いている私、神経症の私、とは、それらの私を見て観察し、意識し、知覚しているところの私・・・・自我すなわち観察している私です、自我の私が自我の私を意識し、知覚しているのに過ぎません。自我を見ているのは自我であります。

自我を抑え、自我を良くしようとしている私こそ、その自我です。

「恐怖に怯え、恐怖を感じている私」を見ている私とは、その恐怖を感じ、戦いているわたし自身であり、それはともに脳が生み出した記憶の私=自我に他なりません
自我を無限遠点から見ているのは、同じ自我であり、汚れが薄くなっている自我であり、それでもはやりそれは自我に他なりません

「見るもの」「見られるもの」「見る事」というそれらを支えているのはマインド・こころに他なりません
こころが、脳が支えているのです。

この「見る私」「見られる私」「見る事」とは「不二一元の真の私」ではないものであり、それは心に他なりません、その心とは熟睡を支えている意識ではありません、熟睡してしまっている意識です。

悩み苦しんでいて、その悩み苦しむ私を見ているのは、「高次の私」ではなくて、その悩み苦しむわたし自身なのです。それは悩み苦しみそれ自身です。

観察対象の私とは、その対象の私を観察している私に他なりません。観察対象の私が観察している私なのです。観察者は観察されるものであり、「見ているわたしとは、見られているわたし」なのです

恐怖を見ている私は、その対象である「恐怖に怯えている私」自身であり、それは実は恐怖自身であるのです。こころが見るものと見られるものの分離を生み出しているのです。

「心である恐怖」が「恐怖に怯えている私」と、その「恐怖に怯えている私を見ている私」とを生み出しているのです、

それらはともにこころであり、マインドであり、神の作り出した映像の一部なのです。

「意識とは私に押しつけられたあるもの」にほかなりません

観察者も観察されるものも神の映像であるこころ・マインドなのではないでしょうか

この私とは観察している意識や、観察されている意識であって、意識を超えている「気づき」ではありません、それらはともに心であり、未知である真の私ではないものです。この私とは意識に過ぎないものだからです。

自分の自我を主観的にせよ客観的にせよ観察している私とは、まさにその観察者によって「観察されている自我」です、その自我を観察している私とは「観察されている自我」なのです

だからクリシュナムルティーは「観察者は観察されるものだ」と言われました。
その両者は共にマインドであり、心そのものであります。
その両者ともに熟睡をあらしめ、心臓を動かし、呼吸をなさしめ、瞼を開閉し、腕を動かし、消化吸収ならしめ、行為して、自我を用いているわたしではありません。

この観察者とは自我であり、現在の私です。
現在の私・自我とは行為していると思っている私、自分が生きていると思っている私、私は自分の私だと思っている私、自分がマインド・心であるにも関わらず、自分が思考し、自分が欲望し、自分が恐れ、自分が悩み、自分が苦しんで、自分が感覚し、自分が見て、自分が知覚しているとおもっている私。その私は「神の映像」である私であり、「根源の指人形」としての私であり、「既に書き込まれている書物の中の登場人物」の私であり、「DNAやコーザル体の記録」としての私であり、「神のロボット」としての私にすぎません。だから熟睡している私なのであり、熟睡をならしめている真の私、即ち熟睡しておらずその熟睡を見ている私ではないのです。
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【2012/03/27 09:06】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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