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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
何が与えられるか
何を捧げられるか
自分には何を人に与えることができるだろうか?


自分の持っているものは、少ないし、何もないかもしれない
けれども
与えることが存在している目的である


自分は今までに人に何を捧げてきたか、何を与えてきたのかと
自問自答せざるを得ない




なぜ、人は生まれてきたのか
なぜ、人は生きているのか
なぜ、分離二元性は存在しているのか



それは、私たちが透明の筒となって
各自の内奥の至高の愛を顕すためなのではないだろうか




与えることができるもの
人に与えられることができるものは少ないかもしれない
けれども
捧げる事、与えることが
生かされている目的ではないのか
生きていることの目的ではないか


人格を造り、現在のパーソナリティーを造った「至高の実在」または
内奥の私であるものが
至高の愛だからである
それは「与えること」だから



その内奥の私を顕現することが
内奥の私が次元を降下して
魂として表現されている目的である


それこそが
魂と現在のパーソナリティーと人格の生きている目的ではないのか



真実の愛が顕われるために
私たちは必要とされているのではないか?
そのために
その御方自らが肉体をまとって
真我として各人にやどっているのではなだろうか


そういうことであるから
私にできること
私が捧げることができること
私が与えられることを、人にすることが
相手のその人にとって良いことであるなら
それこそ
内奥の至高の実在の私が望まれていることだろう


相手こそ
至高の御方の表現であるし
私の内奥こそ
至高の御方であるから




相手の人の望むことを
相手の人に与えること、捧げる事が
生まれた目的である









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【2011/02/13 08:22】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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