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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
複層自己
私・自己というものは複層構造である


私達は自己が単一で一つだと思っている

けれども自己とは、私とは重層構造なのだ

いくつもの自己が覆い被さっている

同時にいくつもの自己が絨緞している

それはタマネギに似ている

1:肉体の自己もいる
2:過去の前世の自分もいる
3:人類の無意識層の自分もいる
4:今回の人格もいる
5:輪廻転生している現在のパーソナリティーもいる


そして

ラマナ・マハリシやニサルガダッタ・マハラジやクリシュナムルティーが語りかけて
おられる私であるところの

6:目撃者(鏡・観照者・魂・永遠のパーソナリティー)としての私がいる

この私らが同時に複層構造になっていて
私と言う実体を構成している
それらの私達が鏡を覆っているのだ

魂であり、鏡であり、永遠のパーソナリティーであり
その奥の
無思考であり非対象の私の上に
いくつもの
私が複層し幾重にも覆い被さっている


それはタマネギのようである


私にはそのように感じる

だから今此処で鏡の自分が覆い被されてしまっているのだ
幾重もの複層の私によって

クリシュナムルティーやラマナ・マハリシやニサルガダッタ・マハラジは
この目撃者であり鏡と言われる魂の
私に向かって
いつも語りかけて下さっているのだ

彼らが語りかけておられるのは
人格である現在のパーソナリティーの私にではなくて
鏡である私に
語りかけておられるのだ





















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【2010/01/31 08:14】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
誰がわたしか?
昨日の事だった

自分に想念が、欲望が起きた

それを

自分は、自分が想念した、自分が欲望したと思っている・・・

けれど真夜中にふと気がついた

この自分が

「自分が想念し、自分が欲望している」と思っているのは

自分の陥っている間違いではないかと


この想念や欲望は私・自分(魂・鏡・目撃者・観照者)に非常に近いところで起こっているため

自分の想念や自分の欲望だと、・・・自分が信じているだけのような気がしてならない


この自分の想念や欲望と思われているのは、自分の自我という実体から出た反応なのか


それとも記憶の集合意識や記憶の無意識層からやってきているものか

それとも外部からこの肉体と頭脳にやってきて起こっていることなのか

それとも自分のワサナ達からの反応か

それを自分が非常に近いところで起こっているので想念し、欲望していると思っているだけなのか?

その自分が想念し、欲望していると思っている、現在のこの私とは誰か?

それは現在のパーソナリティー・自我ではないか

その現在のパーソナリティーの自分とは霊魂とか自我とかいわれている実存の私わたしではないか

けれどもこの現在のパーソナリティーの私とは私なのか?

ニサルガダッタ・マハラジが言われるように

この現在の私とは、魂であり鏡である私によって、投影された実在しているように見えている意識実体なの

ではないか




ラマナ・マハリシやニサルガダッタ・マハラジなどがあなたと言って語りかけている相手とは

現在のパーソナリティーに対してではないと思われる

それは

未知なる私であり、この現在の私には知覚されない、認識されない、記憶されない、対象にならない、

思考されない私であり、魂の私、鏡としての私にたいしてなのだ

いったい現在の私はどの私を私と思っているのか


要するに、この意識し、意識されている私とは私であるのか?

この知覚し、知覚されている私とは私であるのか?

意識している私とは?・・・勿論自分ではあるけど・・・?

この私・現在のパーソナリティーとは・・誰か

それは思考であり、そして思考の記憶である私であり、進化している時間のなかの進化する実体である

その思考であり、思考している私が、肉体につながっていて、頭脳に繋がれていて

その思考の私が

記憶を自分だと思い
肉体を自分だと思い
自我とワサナと感情と欲望を自分だと思っている


それらのこの実体の意識によって知覚し、認識され、記憶される
思考や欲望や感覚や感情とか「自我の自己関心」は自我という現在のパーソナリティーの状態そのものである

思考の自分が「自分だ」「自分のだ」と確信していることだ、それが知覚し認識される欲望と想念と感情だ

では

それらの「自分という主体である私」とは明らかに非思考・非対象・沈黙である私ではない

この現在のパーソナリティーの自分とは思考だからだ、この自分とは時間の一部であって、時間を超えた「私」ではない

この実存の私がどこを見渡しても

思考以外はなにも見えない・・、分離しか見えない・・・愛が無い状態しか見えない・・偽りしか見えない

なぜなら見えるところの目ではないからである

見るためには思考ではない沈黙と非分離性・非二元性の目が必要だからだ

その目であり鏡である私が必要だからだ


従って

この生きている現実存在の私とは思考なのである

ニサルガダッタ・マハラジなどによって語りかけられているあなたとは誰か?

「記憶と同一化してはいけない・・」と指摘されているあなたとは誰か?

「記憶と、思考と、観念とを受け入れてはならない」と言われているこの私とはいったいどの私か

それは

この思考の私ではなく、この意識し、知覚し、認識し記憶している私では無い

ニサルガダッタ・マハラジは

思考を目撃している私に対して
 
~同一化してはいけない

と言っているのだ




【2010/01/30 08:53】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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