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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
頭脳のプログラムの反応を自分の反応だと思ってる
自我は
条件付けられた頭脳の反応を
自分の反応だと
思っている
(ラメッシSバルセカールより)



条件付けられている頭脳の反応とは



この頭脳に起こっている(やってきている)
映像や
出来事や
カルマや
感情や
身体や
思考や
欲望や
視覚や
イメージや
聞こえることや
認識や
体験や
感覚や
知性や
知覚のことであり



それらを
自分がしている、行為している、起こしていると思っている



そして
その頭脳の反応(アウトプット)に
対して
反応しているのが自我だ
そして
脳が認識しているのに自分が認識していると主張する
脳が行動しているのに自分が行動していると主張する
脳が欲望しているのに自分が欲望していると主張する
脳が生きているのに自分が肉体で生きていると主張する
脳が思考し決定しているのに自分が思考し決定したと主張する
脳が考えているのに自分が考えたと主張する
脳が病気なのに自分が病気だと主張する
脳が選択したのに自分が選択したと主張する
脳のカルマであり運命なのに自分のカルマで自分の運命だと主張する
脳の出来事なのに自分が出来事に巻き込まれたと主張する


これをラメッシは


「源泉・根源は
  ↓
①貴方に思考を送り(脳へのインプット入力)
  ↓
②脳はその思考に対して
  脳の条件付けと
  脳のプラグラムに従って反応し
     
  ↓
③脳は出力(アウトプット)します
   (脳が行動し・思考し・知覚し・欲望し・認識します)
  ↓
④自我はこのプログラムに従った頭脳のアウトプットを
 (脳が行動し・知覚し・思考し・欲望し・認識しているのに拘わらず)


  自分が行為している
  自分が思考していると言います」


この自我とは記憶ではないでしょうか


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【2009/10/22 14:32】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(23)
悟るとは?
良く書店では悟りに関しての本があるけど
悟るとはなんだろうか?

悟るとはこの記憶の継続である「私」が悟るのではない
実は、「私」が全てと一つで、ワンネスだったなどと、進化して悟るのではない
また、自分の事を肉体だと思っている「自分」という記憶自己が「そんな風に」
理解して、開悟し悟るわけでもない
それは嘘だ、自己欺瞞だ
その記憶という私は何処まで行っても主体と客体は別々にあるという「状態・次元」の範疇に有る



幾世代も生きて、自分を肉体だと思っている記憶は記憶であって記憶しか持ってない、記憶だからだ
記憶にはそのような「気づき」は持っていない、記憶とは「気づき」という空間そのものの意識ではないからだ
従って
五感と頭脳の条件反応の記憶であり、その記憶の反応でしかない私に一体どうして
全ては一つだと言うことが分かるんだろう?
それらのこととは記憶の意識ではなくて、空間そのものの「気づき」の意識なのだから
記憶にはそれは分からないことなのだ



その記憶の反応というものにとっての分かることとは、恐怖と悲しみだけだ
何故なら
その記憶とは自他が分離しており、あるのは恐怖と悲しみだけだからだ、その悲しみが快楽であり
願望なのではないか、欲っすることなのではないか


その記憶である私は悟ることはない、「気づき」ではないからだ
私は悟らない良くならない
だから
良くしよう、良くなろう、悟ろうとする、欲する


この悟る、とか悟りとは
記憶側である「私達」が生み出した概念なのではないか
「私」というものが成長して、到達して、遂に悟るという概念を生み出したのだ
この概念を生み出したのがこの「集合意識・私」ではないだろうか




私が悟るのではない
私達が良くなって次元上昇してアセンションするのではない
私達思考が悟るのではない
私達思考がアセンションするのではない



アセンションとはこの次元に上位次元が浸透することなのだ
アセンションとは、全く個人的なことではない
私と言う記憶も私達という人類の記憶も次元上昇など出来ない
この地球という次元がアップすることは
私は肉体だと思っていた記憶が、人類の記憶集合体が解消してしまうことだ

その次元にはこの記憶が留まることは出来ないからである
従って「私は肉体だ」という記憶も
「私は個人だ、人格だ」という記憶もそこの次元には
参入出来ない

だから
悟る者はいない、悟りを開くのは個人ではない
悟りというアセンションは個人に起きたのではなくて
悟りがその個人という概念を消してしまったのである


それを
自我から見た場合は「誰かが悟った」ように見えるだけではないか


誰かが悟ったのではなく
そこに悟りが開いたのだと思う


悟りが悟りをもたらしたのであって
「私」が悟ったのではない
また「私」が良くなったのでもない
その良くなった「私」とは何だろうか?
なので
そのことを思考している「私」とは記憶であり
その奥に控えている人類の集合記憶なのではないだろうか


悟り(アセンション)とは「私」が悟るのではない
一つなるもの「悟り」が

その単体の脳に繋がったのだ
そして
その単体の頭脳の条件付けを外したのだ
そして更に
その単体の脳に、莫大なエネルギーが押し寄せ
記憶・私を溶解してしまったのだ


だから
それは記憶の私が悟ったのではない
悟りがその単体の脳に出現したのだ



今後アセンションで起こる事とは
この単体バーションが
地球規模で
起きることなのではないだろうか












【2009/10/22 11:14】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
ハイヤーセルフについて
「そしてこのとき、観察者は観察されるものであるという気づきがやってくるのです。このことに気づくのは何ら上位の実体ではありません、それは高次自己(ハイヤーセルフ)ではありません。
観察者が観察されるものであることを明らかにするのは、気づきそれ自体なのです」(
クリシュナムルティー)




高次の自己は現在のパーソナリティーであるサイコノエティック体が進化し、黄金の霊体となり
幾段階のイニシエーションを経て、諸体を統合し、蛹から蝶へ、そして蝶からさらに進化して惑星大になったり、素粒子にもなることができ、更に次元上昇した場合、惑星で統合して
単一の統合集合意識となる意識ではあるが



クリシュナムルティーはこの惑星にただ一つ、太陽系でただ一つの進化した上位自己も
根源によって生じているものである以上は
観察者は観察されるものであるということを明らかにすることは出来ないといっている



彼は気づきは次元上昇した場合の統合集合意識である惑星でただ1人のハイヤーセルフではないといっている



そのハイヤーセルフとは現在のパーソナリティーでありサイコノエティック体という観察者が進化し統一体となって次元上昇した惑星大の自己ではあるけれども、それは気づきではない
何処まで進化していっても対象というものを持っているその進化した観察者という現在のパーソナリティーとは根源のプログラムの結果であり
現象界というマーヤを構成している一部分、マーヤの部分であって、創造された世界であり
顕現世界であり、非顕現である気づきというものではないという


では
観察者が観察者自身である恐怖を見る事が出来るのであろうか
観察者が観察者自身である暴力を見る事が出来るのであろうか
観察者が観察者自身である客観対象世界と、その出来事に巻き込まれて、自分は肉体であるという錯覚をしてカルマに巻き込まれている「自己と云う概念・実体」を見る事が出来るのであろうか
観察者が観察される者であるマーヤ・幻覚・幻想・現象を見る事が出来るのであろうか
観察者は「私は誰か?」の私である「自己と云う第一想念(観察者自身)」を見る事が出来るのだろうか



観察者が「観察者は観察されるものである」を見る事が出来るのであろうか



クリシュナムルティーはハッキリと
「見るものは見られるものである」「観察者は観察されるものである」を見る事が出来るのは
観察者ではなく「気づき」でしかないことを明言している




以下はクリシュナムルティーの言葉です
「もしも、その実体が意識の一部、思考の一部なら、そのときそれは見つけ出す力を待たないのです。発見できるのは気づきの状態だけです。しかし、その気づきの状態の中になおも”私は気がつかねばならない、気づきを練習しなければならない”という何らかの実体がいるなら、それはまたしても別のイメージなのです
観察者が観察されるものであるというこの気づきは、観察されるものへの自己同一化のプロセスではありません。自分自身を何かに自己同一化させるのは至って簡単なことです
ー中略ー
何に為に行為するというのでしょうか?もし何かがあなたであるなら、あなたに何が出来るでしょうか?あなたはそれに反抗したり、そこから逃げ出したり、またはそれを受け入れることさえ出来ません。それはそこにあるのですから。ですから好悪に対するリアクションの産物たる全ての行為が終わるのです」
ー中略ー
私はもう混乱の中で行動するのは止めるのです。それゆえ、行動しないことが完全な行動なのです


このクリシュナムルティーが指し示していることは
私達が何かをしているのではなくて、私自身をも含めて全ては起きていること
全てが私達をも含めては根源のマーヤとして、その一部として幻想を構成しているのではないでしょうか
従って
観察者である自我、現在のパーソナリティーである私も、その同じであるあなたも、本当は何もしておらず、何も出来ない
その何かをしよう、何かが出来ないと思うことこそがマーヤのプログラムの一部分ではないでしょうか
【2009/10/19 09:10】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(6)
行為している
自我は自分が行為していると感じているのだ




自我や思考である記憶(サイコノエティック体)は頭脳にしっかりと
堅く結びついているので
頭脳に起こっている(やってきている)選択や行為や感情を
自分が行為し
自分が選択し
自分が考え、感じ、経験し、認識していると
思い込んでいて
自分の肉体だと信じ込んでいるのだ



がそれは違う


肉体も、出来事も、環境も、行為も思考も選択も頭脳に起きているのであって
それは頭脳の作業であり
頭脳自体の持つ高等なネットワークによって生じている結果なのである

頭脳はプログラム・DNAでコントロールされている
行為も、欲望も、願望も、思考も、環境も、出来事もプログラム・DANの結果である
頭脳の中で起きている事は
自我という記憶である私には関係なく


それは起きているのだ



肉体の状態も
行為も、
健康も、病気も
失敗も成功も
選択することも
欲望することも、しないことも
ただただ起きているのだ



しかし
自我という記憶である私・個人は、頭脳に固く結ばれているので
必ず、
自分が行為している
自分が意志し、
自分が決定し、選択し
自分が健康だ、病気だ
自分の境遇だ、環境だ
自分が成功した、失敗した
自分の肉体で自分が生きている自分の人生なんだ・・・と
思い込んでしまうであろう



なぜなら
記憶体である自我は頭脳の感覚とも神経とも結ばれているので、
自分が行為して
自分が生きて
自分が感じていると感じるからだ



また
出来事や、経済や、環境や、経験や、体験も、頭脳を通じて起こっているので
それを間違って
自分が体験し
自分が経験しているとおもい込むのだ


また
そして
これを書いている自我の私にとっては
全く未知であるけど観照者である
真の私にとっては
その辺はどうだろうか


おそらく
観照者にとっては

全く行為していないし
全く考えたり、感じたりしていないと云うことだろう
観照者は思考しないからだ、だから分かるということだろう



それに対して
この自分が肉体だとおもうことも
自分が行為していると思い込むことも
自分の人生で自分が生きていると思い込むことも
この外部と内部を区別する認識も
(自分と対象を区別する認識も)


自我記憶であり思考であることの証明だ

考えることがあると云うこと
考えていると言うこと
自と他を区別して認識していると云うことが
それは思考であって、自我であり「気づき」ではないことを証明している



頭脳に起きている
感情も
思考も
認識も
知覚も
記憶も
出来事も
肉体も
運命も
カルマも
境遇も
経済状況も

私ではなく、そして自我でもなく


またそれに対して
反応したり
同一化し
苦しみ、恐怖し、心配し、未来を考えている
記憶である自我も
私では無いと
云うことではないか


自我も、真の私も
頭脳に起きている出来事や行為には係わっていない・・・ということ



それを深く認識している状態こそが
現在のパーソナリティーというサイコノエティック体であり自我と言われるものが
ものごとを正しく観察している状態だと思う


【2009/10/09 16:39】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
アートマン
アートマンはブラフマンしか見ていないが



ブラフマンは


存在していない仮象も見ている
というより
ブラフマンの中には

仮象の全て
錯覚の全てが夢の中に
螺旋している
【2009/10/03 09:16】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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