FC2ブログ
気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
嘘は言えない
「思考し、対象を持っている私とは私だろうか
              それは私ではないのだ」
                  

「また恐怖を抱いている者とは私であろうか
             それは私ではない」

と言うように、私は感じるが

その感じていることがトリックなのだ

そのように言うことの中に

私は、そこの中に嘘を感じている

実際には恐怖そのものである私だけがあり
その恐怖の私が、その恐怖を抱いている私は私では無いと虚言しているだけで

実際には恐怖である私しかいないのに
それを対象に見ている観察者(その恐怖の一部分)である恐怖が私は恐怖ではないと嘘をついているだけなのだ

本当は恐怖だけがあり
自我だけが有り
それを見ている観察者(恐怖の或る部分)が、自分は恐怖ではないものであると嘘をついているのだ


従って冒頭の言葉は「恐怖である観察者」が偽って嘘をついているのだ
            
「思考し、対象を持っている私は私だろうか
              それは私ではないのだ」が言うことができるのは
本当に「それは私ではないのだ」というところの私が生まれていなくてはいけない

その恐怖である自分を私ではないと言いたいところだが
私は嘘をつくわけにはいかない

「思考し、対象を持っている私は私だろうか
              それは私ではないのだ」
と、言いたいところだが
そうは言えない

私は
「思考し、対象を持っている私は私だろうか
             そうだ それが私なのだ」が

偽らざる私だ
これを
「久保さんは偽我との同一化をしている!」と誹謗する者も
「真実を語りなさい!」という方もおられることだろう

しかし
私は
その方が言われる偽我との同一化をしている魂や高次の私ではなく
魂や高次の私などは、この現在の私にとってはそれが生まれていない状態では

この私の状況とは
魂がその偽我と同一化をしているのではなくて

私こそが、その偽らざる自我そのものなのだ、即ち高貴な方々が言う偽我というものであり

この私と言う自我にとっては
なにも偽我と同一化しているわけではない、私こそがその方々がいう偽我という自我そのものなのだ


同一化と言うからには、その偽我と同一化する高貴な存在が私であるはずだが
私はその高貴な存在ではない
従って同一化したくとも出来ないのだ、同一化しないようにすることもできない

私が思考であり、自我であり、マインドそのものであり

自分の事を偽我などと呼ぶことの出来るほど
自分の中に、立派な魂が生まれているわけではない

自分の中に真我が生まれている人は、自我(エゴ)の事を偽我と呼ぶことが出来よう

しかし

未発達な私にとって自分の事を偽我と呼ぶことなど僭越であり

嘘なのである

そのように「偽我と私は同一化している」などということは
嘘をついていることになるからである




スポンサーサイト



【2008/09/03 13:46】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する