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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
達成するものは実在ではない
覚者は言う
何か達成されるものは実在ではない、
獲得されるものは真実ではない
実現し、成就されるものは真実ではない
何故なら
私達は既に実在であり、真実である

実際には得るべきもの、達成し、実現されるべきものは何も存在しない


それは既に、「今・此処」に在る



もっと真理を知りたい
もっと進歩したい
もっと深く境地を高めたいという欲望こそ自我(エゴ)である



真の私は知性・知識を超越している、知性は真の私に到達する前に消えていなければならない


沈黙は最善の言語である


真の主体、絶対主体とは、内部での主体対象ではない、それは対象にはならない、対象になるものはその絶対主体ではない



身体は心の中にある、
そして心は頭脳の中にある
さらに
頭脳は他の源からの借りてきた光によって機能している
だから
その借り物の光ではなく、本源の光によって私たちは生きている
その借りのもの源に依存しないようにしなさい


私達は本当に条件付けられているのか
実は条件付けられているという概念
見ることが出来ないという概念
借り物の光からの感覚と知覚と同一化しているという概念
私たちは真の自分を見つけ出さねばならないと言う概念
その概念を受け入れているのに過ぎない
その概念を拒絶しなさい
と覚者は言われる


その概念を超えて
真実はわれわれは
私達自身であり
私達が本当に存在しているということ
想念や知性や概念から既に解放されていることを
知るべきである




と言われる



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【2007/10/28 11:02】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
マインドが気づきによって使われるとき
その昔、ある思想家が
時間空間は認識の形式である、といった


でも、それは少し補足した方が良いのではないか

時間や空間は誰の認識の形式かという、問がわき起こってくる、そしてその答えは

自己の認識の形式であることは確かだ


ではその自己とは何か
それは、この「意識の座」を覆っているマインド(心・思考)の認識の形式であることは明らかだ


従って、次のように言える
時間空間とは「マインド」の認識の形式だと
内部と外部の分離はマインドの認識の形式だと
自と他の分離、この二元性、観察者と観察されるものの分離とは、マインドの認識の形式だと


そして、この認識の形式である偽私・自己がこれらを認識し、知覚している

この分離し、自己主張している自己とはマインドの生み出した記憶であるので

自己とは、私とはマインドの認識(知覚・体験)の形式だと

自と他の分離はマインドの認識(知覚・体験)の形式だと
三次元的及び多次元的認識そのものがマインドの認識(知覚・体験)の形式だと
時間・過去、現在、未来そのものがマインドの認識(知覚・体験)の形式だと
記憶及び記憶が生み出したもの全てがマインドの認識(知覚・体験)の形式だと
記憶が生み出した私こそマインドの認識(知覚・体験)の形式だと
内部と外部の分離、内と外の区別こそマインドの認識(知覚・体験)の形式だと
世界が自分ではなく外にあると思うこと、宇宙が自分ではないと思うことがマインドの認識(知覚・体験)の形式だと


もっとハッキリと分かり易く言えば、貴方の目の前の他人とは、貴方自身だと言うことである
、マインドの謀略で、自分ではないと信じ、思い考えているだけである


そして、この私の思い、思考、観念、概念、感情、知性、知識こそがマインドの認識(知覚・体験)の形式だと

マインドとは頭脳を経由して、真の私ではない外部からやってくる、根本無明と言われているものである

それがあるがままをあるがままに見ることを、覆っている
あるがままを見ることが出来れば、そこは完全完璧であり、愛しかないのに

この眼を、このマインドが覆っているために、私たちは見ていない、盲目となっている


この眼を塞いでいるものこそマインドであり、このマインドの本質が恐怖である
悲しみである、
苦しみである、
安全・安定を求めることである
より良くなろうとすることである
思うことである
考えることである
感じることである
知覚することである
記憶することである
成就しようとすることである
持続することである、だから輪廻が回転しており制止しない

だから輪廻しているものは、マインドの作りだした記憶体であり

気づきという意識ではない

その気づきという意識ではない、マインドの記憶が輪廻している

このシステムを維持運営しているものがマインドを使って

輪廻を演出し、映像させている

この創り出されたシステムが、常に時間に捕らわれ、空間に捕らわれ、思考に捕らわれ、記憶に捕らわれている
心・マインドのシステムを維持運営している
これが次元界を維持運営している
そして、これがマインドを使い
このマインドが偽私を生み出し、記憶を使って偽私が、あたかも輪廻転生しているように思わせている

であるので
自己・偽私とはマインドが創り出しているトリックに過ぎない

この偽私のトリックが真に見破れたとき

実際はこの私なるものは存在していないことが実感したとき

そのマインドは正しい位置に納まると言われている

即ちworking mindとして、「意識・気づき」によって使われるものとなる

といわれる

輪廻転生しているもの自我(エゴ)はマインドを使って生み出された映像であり

それは、未知なる真の私ではない
【2007/10/24 07:17】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
否定することが一番の肯定することである
虚偽を虚偽と否定することが真理を肯定することである、接近することである


否定的接近は最大に近づくことである


肯定的接近は最大に遠ざかることである


真の私を肯定することは、真の私ではないもの、即ち私を、真の私ではないとハッキリと見ることである


否定することが肯定することである


肯定することは否定することである


真の私ではないものを真の私ではない、と否定することが、真の私を肯定することであり、接近することである

私は神である、真我であると、考えることは観念の中に迷い込むことである

神と真の私、真我から遠ざかることである


既知なる私はワンネスであると思うことは概念の中に捕らわれることである

真のワンネスから遠ざかることである

神もワンネスも真我も考えること、思うこととは、正反対のなかにある


それは
考えないこと(無思考)、思わないこと(沈黙・静寂)の中にある


考えること、思うことはマインドの思考状態であり、それは常に動いており、悲しみ苦しみであり、分離しており、それこそが偽りの私そのものである


そのマインドがないとき、其処に沈黙があり、其処に意識が現れると教えられている


その意識こそが

神であり、真我であり、ワンネスである

それは思考ではない、マインドではない


だから

私ではないものを私ではないとハッキリと見ることが、本当に真の私に近づくことである


意識でないものである思考を、既知なる私を、これは意識ではない、これは私ではない、これは思考であるとハッキリと見ることが意識に接近することである


虚偽を虚偽とハッキリと見ることが真理の働きである、真理に近づくことである


存在していない自我を、存在していないとハッキリと見ることが真の私に近づく路である


見るものは見られるものであることを見ることが正見であり、


自分が見ていないことをハッキリと見ることが、その見ること即ち正見に近づくことである


存在していないものを、存在していないと見ることが存在しているものに接近することであり


肯定的に近づくことは、それから遠ざかることである


外部は内部である
(対象の世界も、それを見ている自分も、内部であるマインドの投影である)


内部は外部なるものである
(マインドがマインドを投影して、自分と世界を投影しているのだ)


だから
内部は外部であり、それは私ではない、意識ではない


従ってこの知覚し知覚される既知なる私は、外部である


そして
この知覚し知覚される既知なる私は、錯覚である、私は存在しない、

それは

思考であり、マインドであり、意識ではない、真の私ではない


この既知なる私は「I AM THAT」ではない


この既知なる私であるマインドは、闇である。光ではない、意識ではない、全体ではない


このマインドの闇をマインドの闇と見ることがのみ光をもたらす


マインドの闇が見る光は光ではなく、光を装った闇に過ぎない


と、そのように多くの覚者によって教えられている
【2007/10/11 07:36】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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