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気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
逆説・否定的接近
ラマナの「真我の探求ー私は誰か」は、クリシュナムルティーやカルキと同じ逆説、否定的接近である。真実の解放は肯定的ではなく「虚偽を虚偽と見ること、虚偽の中に真理を見ること、真理を真理と見ること」の中に発見される
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【2006/05/14 04:49】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
客体としての神について
わたしも客体としての神に対して、その伝統的アプローチは好きです

私は1週間連続して毎夜、宇宙の方々が応答してくれた、その体験から、かれらは内界と繋がっており主体性を超えて、
その奥に作動している所の意識帯と連動して出現したと思っています

一見関係なさそうですが、
実は、これがそれに対する答えでもあるのです


「仏陀を殺せ」とは極端な教えですが

自分の対象としての仏陀は、それを体験している、私=自我の世界に応答して出現しているのですから、
その客体としての仏陀は、主体たる自我の反映だと思います

それに、真の仏陀なら、客体として、その探求者のまえに、対象として出現したとき、その探求者は、まだ観照者に至っていないのですから、客体として神や仏陀を信じてしまい、二元性の罠に陥り

間違った宗教を作ってしまう危険性が、充分に配慮できるはずですから、

本物の聖なる存在であるならば、自分(神や仏陀)を客体として、対象として、信仰や崇拝の対象として姿を現すことは無いはずです

この私に対しても宇宙の方々すら、そうであったし

円盤が何故、公に姿を現さないのかも、その点を充分に良く理解しているからです

ですから、私達に客体として現れる仏陀は、私から何かを搾取しようとしている危険な存在なのです


真実への道に導く仏陀は、絶対に客体としては出現しません

幼稚な私達が、どのようにして、崇拝してしまうか私達のことはよく分かっているからです、
その客体として現れた仏陀や神は私達の想念のエネルギーを食べて生きている、存在達です。
私達から栄養が欲しいのです、
ですから、無知な私達をコントロールできるのです
私達の欲望と利用しようとする自我が彼らを出現させたのです

私達が、自分の自我に至ったとき、(それは自我が存在していなかった、想念にすぎなかったを了解するときです)、

この聖なるものへの否定的接近に置いて

自分が仏陀になっていて
どこを見渡しても仏陀以外にないのだとおもいます

主体の根源までたどり着いたとき、そこが無であり、空であるのだと推測されます

そのとき、主体が無く、私が無いのに「見るものは見られるもの」を観照している、
絶対主体性そのもの=「I AM」が「私はある」が出現するのだと思います
その世界こそ仏陀と私を分けるものはなく、全ての人が同じ真我の世界だと思います
これの決め手が
ワーク
即ち「自我というこの想念の根源に至ること」だとおもいます
【2006/05/08 06:32】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
二元性についての雑感
先日送られてきたバーナッデトロバーツの純粋主体性は、とても良かった
通常の主体はI AM ◯◯◯◯であるが
その主体を支えているのが純粋主体性であると思うが、どうなのだろうか、体験がないので、思考の隙間(純粋主体性)からその瞬間を見たことがないので、何とも言えない

純粋主体性はI AM THAT I AM であるとおもう
ニサルガダッタ・マハラジの様にはI AM THAT I AMはわからない、
これは端的に言うと「見るものは見られるもの」の認識であるとおもう、
主体と客体の分離の止揚であり、純粋主体性だ(純粋客体は唯物論に発展するので問題外)と思う

ラマナ・マハラジはそのI AMのでどころを把握せよといっているが
I AMのでどころとは、思考の隙間の発見であるとおもうが如何
しかし
これはすることではなく
起こることだと思う

クリシュナムルティーは、ここを直に示していつもの口癖「観察者は観察されるものである」もこの純粋主体性を指している
分離する主客の解消であり、非二元性だ

ラマナ・マハラジはこの二元性の主体のでどころを徹底的に探せと言っている、それが即ち「WHO AM I」であるが
これは二元性の主体は純粋主体性が生み出したとも言ってる
どう思うであろうか

二元性は私達の眠りの世界
非二元性は目覚めた世界


二元性は主体と客体の分離の世界、「見るものと見られるものが別々にあると思っている世界」
非二元性は純粋主体性の世界、「見るものは見られるものである」世界


二元性は輪廻転生が、あると思っている世界
非二元性は生まれていないし、従って死にもしていない、不生不滅の世界


二元性は自分以外に、神が存在すると思っている世界
非二元性は内も外もなく、神も、他人も、自分も一つである世界


二元性は対象がある世界
非二元性は対象のない世界、体験や認識の及ばない、存在の世界


二元性はアセッションがあって、2012年がある世界
非二元性はこの宇宙と時間が生まれる基盤の世界、アセッションや2012年がない世界


二元性は私達が何かをしていると、そして何かが出来ると、即ち自由意志があると錯覚し、自分が何か行為していると思い上がり、神からの使命があると思っている世界
非二元性は自由の世界、全てが愛で、既に完璧で、何もする必要のない、何も付け足さない、既に完全の世界

二元性は主体と客体の分離世界
非二元性は純粋主体の全体性の世界

二元性は自分がある世界、主体の存在する世界
非二元性は全く自分のいない世界

二元性は想念の現象界
非二元性は虚無と空の中、沈黙に開示されるすべてが、普遍の世界、現象界を生み出し支えている時間のない実在界
【2006/05/04 07:41】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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