気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
内部も外部も神のもの
肉体は神のもの
五感は神のもの
知覚は神のもの
認識も神のもの
自己自我は神のもの
それらを自分のものだと錯覚する私も神のもの
私は神のもの
全ての人や動物や生物の意識も「私」も神のもの


恐怖や喜びや悲しみも神のもの
記憶は神のもの


神が行為している
神が生きている
自分が生きて自分が行為しているとの実感は神が起こしている

この物質界も死後の霊界も神の演じておられる劇場であろう
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【2018/07/08 08:19】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
現在の私
現在の私

・現在の私はいつも「現在の私から逃避しよう」としている。

・現在の私はいつもあるがままの私を非難している。
 自分を決して受け入れないし、自分を愛してもいない。

・現在の私は現在の私を見ているのではなくて自分に
 ついて考えてしまう事によって現在の私に取り込まれて
 しまっている。

・現在の私はいつも「現在の私」を客観視することによって
  自分とは自分を観察している自分だ、自分を見ている
  自分は観察されている自分ではない。と思い込んでいる。

・現在の私はいつも「現在の私」と同一化している。

・現在の私は自分を真我などと一体化しようとして、自己の
 観念の中に逃避してしまっている。

・現在の自分はいつも他人より素晴らしくならねばならない
 と思っている。常に一番でなければならないと思っている。

・現在の私は現在の私を「あるがままにみよう」としていない、
 常に自分を自分ではないもっと尊敬され愛される存在に
 見せるようにし、そして何といっても人に尊敬され敬われ
 たと思っている

・現在の私は究極の「良いかっこしい」である。自分を自分
  のイメージで深く覆い隠くしている。

・現在の私は自分を思考で見ようとしたり、自分について
 考えたり、 思考で自分を観察することで、自分から逃避
 している、しかしながら思考とは記憶の反応であり目で
 ないから見ることは出来ない。

・現在の私は自分を肉体だと思っている

・現在の私は心であり、その心が拡がっている意識を覆っている

・現在の私は肉体の脳と一体化しているので脳が目覚めるとき
 
 一緒に目覚める心でありそれは意識ではない

 朝脳が目覚めたときに一緒に目覚めているのは意識ではなくて

 心であり、それは現在の私という思考である。意識は眠ったり
 起きたりはしないという、それは意識だから青空のように、
 又鏡の様に来るもの(心・自己)を拒まずに映しだしている。
【2018/07/02 06:57】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
ラーマクリシュナを読んで
ラーマクリシュナを読んで


肉体自身、諸身体である現在のパーソナリティー自身、即ち私自身
肉体の五感、知覚、認識、実感、記憶
肉体の行為
肉体の誕生と死亡
肉体の健康と病気、
私の行為
私の喜びと悲しみ、欲望と想いと感情、それらの記憶
私の失敗と成功、喜びと悲しみ、それらの出来事、運命とカルマ
私の「肉体は私のもの」であるというその意識とその実感
私が生きているという知覚と実感と認識と記憶
私は肉体であるという意識とその実感
その逆の悟ったときの
私は肉体では無いというその意識とその実感
そして
私が行為しているという実感とその認識、その実際の行為
私は行為していないというその認識とその実感、無行為
更に
私という自己意識と私という自己自身という実感、私そのもの現在のパーソナリティー
私という「他と分離している自我」の実感
私の良い行為と悪い行為、私の堕落と私の進歩、意識の向上と下降
その逆に
私は分離していない、私は他人と分離していないと言う実感、悟り
「I AM」という高度の自己意識とその実感と認識
私は肉体ではなく行為はこっているとの実感とその認識
その自己実現している現在のパーソナリティーの自己及びその認識、意識
私自身、私そのもの、私
悟りを開いた私、悟りを開いた私という実感とその認識とその悟った私自身
高次ノエティカル体の私

それら全ては
神が起こしているのであり、神のものであり、神そのものである
全ては神が起こされている、全ては神である
全ての全ては私のものでもなく私が為しているのではない、私が到達したのではない

神がそれぞれの個人として生きておられ、行為し、体験し、記憶されている
それぞれの個人としての知覚と認識とその個人としての実感を起こしておられるのは神であり
その個人に
悟りとして神としての、全体としての、「I AM」としての知覚と実感と認識を起こされているのは
神であり、私ではない。私は神の演技、神ご自身。
私が進歩し、悟りを開くのではない
悟るのは「私が悟る」のではなくて、「神が自ら悟る」のである
私が生きているのではなくて、「神自らが生きて」おられるのである
私が行為しているという実感も、そうでない実感も神が起こしておられる。
私の意識は、私の記憶とは、私自身とは神が演じて意識されている
私とは私ではなくて、私は私のものではなく、神が演じておられる私なのである

自己到達、自己改革、自己実現を行うのはその私、自己ではなくて神自らが自らに起こしている
神が自ら迷い、自ら殺し、自ら殺され、怒り、喜びそして自己実現するのではないか
私とは神のマーヤである

とその様にラーマクリシュナは言っているように思われる


【2018/06/28 07:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
選択は起こっている
つくづく思うのだが
意識は起こっている
思考も感情も起こっている
自己意識も起こっている
様に思える

選択することも
必然として起こっているように感じる

私自身も
起こっているように思える
【2018/06/13 09:40】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
意識は個人のものではない
意識を成立させているのは超意識である


魂の意識が目覚めていない人はこの超意識のうち


肉体や脳と結合した意識しか意識されない


ここで言う意識には全く個人はいない

この特定の肉体と脳に結合した意識が自分は個人だと


信じているだけだ
【2018/03/14 15:35】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
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プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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