気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
自分の力で成長するのではない
私個人の現状はサイコノエティック体の再形成も起こっておらず(自分の力で再形成するのではない!!
再形成とは現在のパーソナリティーであるサイコノエティック体の動きを観照している個別的霊魂の奥にある
プルショタマがそれを決断し行うのである)
従って現況では私であるサイコノエティック体のセルフエピグノーシスは未発達ですので
私の日常の通常の意識に於いては①ワサナからの意識②三脳の条件付けからの意識や脳の記憶の反応
③未発達なサイコノエティック体の意識(カルマやサムスカーラや業に引っ張られている意識)
が殆どであり
時々顔を出すのが
④私という観念「私・自我連合体」=根本自我=全人間の共通意識である恐怖や
不安や競争心、自己本位の自己関心という人類共通の普遍的マインド(アハンカーラ)です
この単体の私に於いては
思考に覆われている⑤の個別的霊魂(内奥の霊魂ではない)の意識は
殆どまったく表に出てきておりませんし各種のベール・産着・サングラスは取り払われておりません。
従って瞑想は起こっておりませんし気づきもありませんし高次のセルフエピグノーシスは起こっていません

私とは現在意識である③の未発達なサイコノエティック体の意識で生きているわけですが
この③の意識である特徴とは、
自分が生きていると実感し、自分は個人だと実感し
自分の自己、自分の自我だと思い込み
自分の肉体だと実感し、自分が思考し、自分が行為し
この自己とは神が使っているのではなくて自分の自己だと実感しているのです。

まさに現在の久保栄治のサイコノエティック体はその様な実感ですしそのレベルです

しかしながらこの実感とは錯覚であり、自己が神以外に存在していると思うことは
(この自己は私であり、自分が輪廻しており、自分が自分の人生を生きていると思うことは)
間違っているマインドのトリックであることは思考や論理では分かっておりますので
個別的霊魂を包んでいるベールや覆いが取り払われるということが起きない限りは

現在のサイコノエティック体であるセルフエピグノーシスに於いては「正しく思うこと」
正思・正念・それを行う正行が非常に大切だと思っております
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【2017/11/06 21:12】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
思考なく見ているのは神
肉体を使い
送受信器である脳を使い
心・思考(私という虚偽)を使って
行為し
生き
歩んでいるのは神である


心とは私ではなく神が使っている意識である
「見るものは見られるものである」であるのに
自他は分離して
主体は対象ではない
とおもうマインドであり幾層もの段階のある心という意識である

その心がないとき
心なく見ているのは神である

クリシュナムルティーが思考なく見なさい
と言っているのは
神として在りなさい
神として見なさいと言っているのである

この心は単一であり
自他の分離であり
見る者は見られるものではないと思っている思考
「見るものは見られるものである」を理解しない思考であり

その思考・心という多くの次元た段階がある意識を神が使って
生きておられる

神でないものはなにもなく
全ては神の中にある





【2017/11/03 06:36】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
私達は鏡そのものなのかも知れない
鏡は何であれ、鏡に映っているものを映しだしている
私達は空の鏡であり、空の器である
その器に入った者が、私は○○だと自己主張し、自分は
自分だと思っている
或る日には、或る記憶体が入っているだろうし、次の日には
又異なる記憶体が入ってきて、「瞑想をして空っぽになったら
危険だよ、そんなことをしたら魔が棲み着いてしまうよ!!」などと言う
けれども、じつはそう言っているご本人自身は、その空っぽの器に
入ってきた記憶体なのである。
実際には私達は誰でもなく、その空の器が私達なのであって、私達とは
いないのである。私達とは単なる空の器若しくは、何でも立ち向かっている
心を映している鏡自体なのである
私はいない
私とは鏡であり、空の器なのである
現在に地球人類の殆どはその空の器には「私という観念」が生み出した
或る人格の記憶や、エレメンタルが棲み着いている
その記憶の反応がなくなり、エレメンタルの思考が消滅したとき
その器は空になっており、その空の状態が良ければそこに思考を超えた
気づきが起こるのかも知れない
【2017/08/27 07:24】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
いつも同じだが神しかいないのではないか
いつも同じ思考が起きている
神しかいないのである・・と言う思考が

非常に間違いやすく、自分勝手に捉えられる恐れがあるので
初心者には、このようなことは言ったらまずいのかも知れない

しかし、実は現象界すら神しかいないのである
この輪廻転生する三界は神の中だったのである
敵も神であり、味方も神である
森羅万象全ての全て、あらゆる次元が神のものであり神の中だ
あなたは神であり、私も両者とも神の演技である
全ての息しているものの意識は神が起こしておられる、
心臓の鼓動や空気や時間や空間のように
あらゆる次元の意識は神のものである。高度な意識も最低の意識も
思考を超えた気づきから、本能だけの条件反応まで
あらゆる段階のセルフエピグノーシスは神のものである
善悪は神のもの、高低は神のもの、最高は神のもの最低は神のもの
恐怖は神のもの、愛は神そのもの
殺す者も殺される者も同じ神、憎む者も愛される者も同じ神
天使は神の使い、それと同じように悪魔も神のお使い
両者が神のお使いとして働き、現象界は回転している


脳は神のもの
不完全で障害のある脳も、不具者も天才も同じ神そのもの両者に何の違いもない
五感は生命と同じく神のもの
知覚は神が起こしておられる
認識は神が起こしておられる
記憶は神のものであり、多くの次元のある記憶はそれぞれが神の記憶
あらゆる次元の意識、あらゆる次元の意識の結果が神のものであるように

肉体のみならず形成過程のサイコノエティック体も高級諸身体も神のもの
個別的霊魂も神のもの
巧妙な自我も神のもの、神の演技
最低のアメーバから最高の人間そして神々も神のもの
私という観念も神のもの
私という観念が生み出した自我により生じた想念形態も神のもの
生き霊も死霊も神のもの、わたし・自我も神のもの

内部は外部と同じように一切は神のもの
神以外に何も存在していない

あらゆる人のあらゆる意識あるものの内部と外部は神のもの

自我は私という観念は
行為や思考と同じく神がお使いになっている神のものである


【2017/08/02 06:11】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
視点を変える
私の体ではない、体は神のものである
私の脳ではない、脳は神のものである
私の思考や感情ではない、思考や感情は神のものである
私の意識ではない、意識は神のものである
私の行為ではない。行為は神のものである
私の自己・自我ではない、進化の過程を歩んでいる自己自我は神のものである
私の現象我・偽我ではない、この現象我、偽我、小我は神のものである
私の中我・個別的霊魂ではない、この個別的霊魂は神のものである
私の大我・真我ではない、大我・真我は神である
私の自由意志ではない、自由意志は神のものである
私の個別的霊魂ではない、個別的霊魂は神のものである
私の人生ではない、人生は神のものである
私の輪廻ではない、輪廻は神のものである
私の無明ではない、無明は神のものである
【2017/06/28 07:04】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
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プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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