気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
視点を変える
私の体ではない、体は神のものである
私の脳ではない、脳は神のものである
私の思考や感情ではない、思考や感情は神のものである
私の意識ではない、意識は神のものである
私の行為ではない。行為は神のものである
私の自己・自我ではない、進化の過程を歩んでいる自己自我は神のものである
私の現象我・偽我ではない、この現象我、偽我、小我は神のものである
私の中我・個別的霊魂ではない、この個別的霊魂は神のものである
私の大我・真我ではない、大我・真我は神である
私の自由意志ではない、自由意志は神のものである
私の個別的霊魂ではない、個別的霊魂は神のものである
私の人生ではない、人生は神のものである
私の輪廻ではない、輪廻は神のものである
私の無明ではない、無明は神のものである
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【2017/06/28 07:04】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
統覚機能が私という観念を生んでいる
心臓が働き起こり生命は維持しているように
(私は生かされているのではなくて
生かされていると思っている錯覚として生じている
私が、「自分の心臓だ」り、「自分の脳だ」、「自分の
人世だ」「自分の行為だ」「自分の統覚機能だ」
と事実とは正反対に思い込んでいるのである)


統覚機能が機能して私が生じている

統覚機能が正常に働くことにより
私という錯覚が生じ機能している

私達・私という観念・私はこの統覚機能
が働くことの結果生じている
記憶であり、知覚であり、認識であり
錯覚である

この記憶が働いて
私という錯覚から
更に諸々の想念形態を生んでいるのだ
【2017/05/21 08:22】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
心は同じように私・個人と思っている
この肉体は人類で全く同じ
同じ構造、同じ心臓、同じ生命、同じ脳

脳の構造は全く同じ、動きは少し異なっても
全く同じ構造で機能も同じ

味覚も聴覚も、視覚も、嗅覚も、触覚も
その構造も、その構造がもたらす五感自体の知覚内容も
すべての人類で同じ
だから美味しいものは誰でも美味しく
感動は同じように感動するのだ
怒りの味は誰でも同じなのである
欲望の炎は誰でも同じ実感なのである

「私は」「私が」「私の」というこの自我も全く同じ
競争心、嫉妬心、暴力心、猜疑心、憎悪、怒り、欲望、利己心
ずるがしこさ、抜け目なさ、そして私という感覚
自己感覚と、自己という実体感覚
これらも全く同じだ

私、私といつも自分にだけ関心がある、この自我とは
この地球で生き続けている、同一で一つの「マインド・心」なのだ
私とは自我であり、自我とは地球のマインドなのである

何故私達は意思が疎通するのだろうか
それは心が同じだからだ
思考が同じで、元言語が同じで、同じ想念で、同じ構造の思考だからである
思考は「私が思考している」のではなく
地球で一つの「マインド」が思考しているのだ
行為は「私が行為している」のではなく
地球で一つの「マインド」が行為しているのだ

人類の肉体も、行為も、思考も、自我も全く同じ物である
同じ構造である
何兆という自我は地球マインドなのである

その同じであるマインドの構造とは

私は他と異なっているという全く現実とは異なる実感であり、自己欺瞞なのである
私達人類は同じ心であるので
全てが同じように現実ではない、虚偽の中にある

それが同じように
全く同じに
私は個人であり、他人とは異なっているとそう信じ込んでいることだ
私が考えているとそう思い込んでいることだ
私が行為しているとそう思い込んでいることだ
私が生きているとそう思い込んでいることだ
私の体で、私の脳で、私の心だとそう思い込んでいることだ

それを思っているのは
地球規模の一つの「マインド」なのである
そしてこの地球規模のマインドは人体と同じく
何兆という進化過程のサイコノエティック体から成り立っている
何兆という細胞で地球のマインドは歩み続けている

わたしという地球規模の心は何時
この虚偽から目を覚ますのだろうか

そしてマインドは神から来ている
【2017/05/20 06:19】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
この目が覚めた私とは、眠っていることに気がつく可能性が有るか
私は「目覚めていない」
何故なら目が覚めたという実感があるからだ。
この目が覚めた実感の私は、「目が覚めた私」ではないことは
なんとなくそう思う
というのも本で読んだからである。



その「目覚める」ために必要不可欠の
「私は眠っている」という自覚がこの目覚めた私には全くないのだ
これは大問題だ!!
目が覚めるためにはその前提として不可欠の「私は眠っている」という自覚がないこの私
この私には「私は目が覚めたという実感」はあるが
「私は眠ったままである」という実感がない

・・・ということは
この「私は眠っていることに気がつかない」この私とはひょっとすると私ではないのかも知れない
私を詐称しているところの私ではない誰かなのかも知れない??!!
この目覚めたと錯覚している私とは誰なのか?
私という実感は有るのだが、どうもその私の中身があまりにもおかしいのだ!
本で読んだ悟った人の私とは全く違う中身なのだ
今後、目が覚める可能性のある私なら
「私は眠っている」と、そう思うことだろう

それゆえに
この目覚めていないのに「私は目が覚めたと実感している私」とは誰か?
それは今後、「私は眠っている、目が覚めていない」と実感し「目が覚める」
その可能性のある私ではないのではないか?
この目が覚めたと実感している私は、今後も目が覚めない私なのではないのか

私が推測するに
この「私は目が覚めている」と思い、仕事をばりばりとこなし、頭が良くお金儲けに成功し
又は頭が悪く失敗し、病気になり、病気が治り、今こうしてホームページを書き、将来を心配し
健康になり、結婚し、親になり、悲しみ、満足し、希望を持ち、行為し、思考し
年を取り、死んで霊界に行くこの私とは
将来目覚める可能性のある私とは全然関係の無い
「私を詐称している私」というものなのかもしれない
この「朝、目が覚め、生き、仕事をこなす私」とは将来目を覚ます可能性のある私ではない
のかもしれない

その「私を詐称している私」「私は目が覚めたと思って実感している私」とは
全然私ではないのかも知れない

いずれにせよ
理論的に言えばこの私は「目が覚めたと思っている私」なので
目覚めた私ではないし、目覚めることがない私であり
私ではない私であることだけは確かだ
このホームページを書いている私
死後霊界に行くこの私とは私ではないのかも知れない



【2017/05/08 07:02】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
私は存在していないと思っているのが私だ
ラマナ・マハリシやKの本を読んで
私はいない・・・とそう思っているのがその「私はいない」と思っている私である


依然としてそこに私が残っているのである

自我という私が、私は思考であり存在していない・・とそう思っているだけで
それをそのように信じてそのように思っているのは自我であり
その「私は存在していない」と言うのは、単なるレトリックに過ぎない
思考である私は思考が完全になくならない限りはそこにある

思考をなくそうと思っているのは思考であり
思考には思考をなくすことはない・・なぜならそう思っているのは思考だからである

思考は暴力であり、私であり、恐怖であり、苦しみであり憎悪である
思考である私は私自身を拒み、変えようととし、決して受け入れない、愛さない
何故なら受け入れないのが思考であり、抱きしめないのが思考であり
自分を愛さないのが思考だからだ

非暴力を唱えているのが暴力であり
私をよくして、成長させて、進歩したいと思っているのが
「あるがままの私」=思考であり
思考は思考を非難し、自らを分類し、評価し、改善しようとしけっして受け入れない
自分を愛することが出来ない、抱きしめる事が無い

悟っていない私が、悟ったと思っているのである
何故なら悟った私がそこにいるからである
私こそ非悟りであり、思いなのだ

私は非実在であると云っているのが
その非実在の私だ
しかし現実の私は未だそこにあって悟っていないのである


暴力が暴力の私であり、憎悪が憎悪を見ている私であり、憎悪を愛しようとしている
この暴力が私は非暴力でなければならない、愛深くならなければならない
・・といったりしている
瞑想したり、善行したり、自己改善したり、私は実在ではない、私は存在していないなどと
自己を偽っているのである

私は行為していないと言っている私は、行為していると実感している私なのである
【2017/05/06 09:34】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
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プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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