気づきを一緒に
気づきを一緒に高めていきましょう
神以外にはなにもない
この究極に素晴らしく宇宙に等しい肉体とは誰のものか?
それは神のもの

この意識・知覚・認識・記憶を起こしている脳とは誰のものか?
それは神のもの

この内面と外部世界という二元性そして外面を知覚している
脳を含めた諸体及びその知覚、記憶は誰のものか?
それは神のもの

この私という観念は誰のものか?
それは神のもの

私、私とはなにか?私は誰か?私は?
私とは神のもの、神の一部。

この自我とは、そして自我の「私のものだという所有心」、競争心、利得心、暴力
嫉妬心、恐怖、希望、絶望、才能、非才能、憎悪、喜びや悲しみは誰のもの?
それは神のもの

心は神のもの
私という観念は神のもの
無明は神のもの
マトリックスは神のもの
そしてこの肉体もサイコノエティック体も高次諸体も霊魂も
すべては神のもの
神以外には何もない

脳は神のもの
覚醒は神のもの
夢は神のもの
熟睡は神のもの
意識は神のもの
知覚は神のもの
記憶は神のもの
行為は神のもの
思考は神のもの
感情は神のもの
欲望は神のもの
恐怖や暴力や憎悪も神のもの
生死は神のもの
病気や健康は神のもの
失敗や成功も神のもの
喜びや悲しみは神のもの
私やあなたは神のもの
肉体は神のもの
エレメンタルは神のもの
エレメンタルの神も神のもの
敵も味方も神のもの
神々は神のもの
悪魔も天使も神のもの
ブラックもホワイトも神のもの
幽体霊体サイコノエティック体は神のもの
コーザル体、及び個別的霊魂も神のもの
自我は神のもの
私は神のもの
心は神のもの
神々や悪魔も天使も神のもの
記憶は神のもの
地球は神のもの
太陽は神のもの
国々は神のもの
民族は神のもの
地球人も神のもの
宇宙人も神のもの
アメーバも、あらゆる生物も人類も神のもの
敵も味方も神のもの
地獄も天国も神のもの
宇宙は神のもの
高次元も低次元も神のもの
宇宙の記憶も神のもの
空気も神のもの
時間も空間も神のもの
あらゆる次元は神のもの

神々も天使も悪魔も神のもの

神以外には何もない

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【2017/04/20 06:35】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
私は神のマーヤ
私は神のマーヤ
私は神の聖なるマーヤ
神がお使いになっているマーヤであり、嘘であり、道具である
肉体は神のもの
神経は神のもの
才能は神のもの
感覚は神のもの
脳は神のもの
記憶は神のもの
知覚は神のもの
サイコノエティック体は神のもの
自由意志は神のもの
行為は神のもの
起こる事は神のもの
認識は神のもの
心は神のもの
マインドは神の道具
そして私が行為し
私が生きている
私の私とは
神聖なる神の嘘
神のマーヤが私である
【2017/03/30 07:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
脳は地球マインドの一部
私達の意識(無意識を含む)とは「地球マインド」そのものであり
このマインドを構成している一細胞であると思われる
(一細胞に全体があり、全体は無限の一細胞によって構成されている)
(マインドとは現象界をあらしめているものであり、自然界も含めた現
象界という神の一部である)


マインドとは
意識面で言えば、無意識(熟睡)、潜在意識(夢見)、現在意識(覚醒)
という
それぞれのステイトで構成されている


各体の脳はその地球マインドのもの、であり、マインドが使用しており
脳とは肉体脳だけではなく、諸体もその脳の一部であり
諸体もその地球マインドの一部として機能している
そして時間の中にあって、自分が行為し、自分が考えていると知覚
している
・・と私は思っている

このそう思っている私も、思考し、考え、思索し、思っている以上は
この地球マインドの一部であり
決して思考なく見ている「見」ではない

アカシックレコードは
マインドの根幹部分であり
過去現在そして未来という時間で構成されている







このマインドとは
過去現在未来という時間から成り立っている地球規模の意識場の
ことでもあり
この地球マインドとは「宇宙意識」「地球の想念帯」「アカシックレコー
ド」「マインド」など
異なる呼称で呼ばれているが
私達の意識の事であり
この熟睡、夢見、覚醒でもって構成されている

この地球マインドとは
「なること」「至ること」「在ろうとすること」などの時間から形成され
ているので
常に未来を指向し、良くなろうとしている




【2017/03/10 08:23】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
自我を見ているのは自我であり、真我は自我の中に真我を見ている
自我を見ているものは自我であり
自我の中に真我・神を見ているのは真我であろう

自分を他人とは異なる自己であると知覚しているものは自我であり
自分を他人と分離しておらず「私は世界である」と知覚しているのは真我であることだろう

自分を自我であり真我ではないと認識しているのは自我であり
自分を「それ」であると認識しているのは真我であることだろう


内部と外部を分離していると見ているものはマインドであり
そのマインドは対象を分離していると見て
自己とは他己であるのに、全てと分離しているとみている

自己と他己の分離感は
条件づけられている脳の働きと一体化したゆえであり
自己と他己を別々の分離している実体だと信じている。


分離しているマインドに於いては自我は他己として認識される



自己を真我と見ているものは真我であり自我の中に
真我をみて

他者の中にも同じ真我を見ているのであろう

虚偽の中に真理を見ているのが真我なのであろう
【2017/03/09 06:49】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
熟睡
熟睡はマインドにとっては無と映っている
熟睡をマインドは見ることが出来ない・・マインドではないからである
私達である、現在の知覚と意識とは鏡を被っているマインドであり
マインドである知覚や意識にとって熟睡とは無でしかない。

熟睡はマインドにとっては知覚や認識が出来ない
熟睡というものはマインドの知覚や認識には及ぶ事が出来ないからだ
けれども熟睡が無ければマインドも無く自我もなく、知覚や
認識もなく、世界も無い。

熟睡という未知なるものは既知なるものをあらしめている
のではあるけれども

既知なる私や思考や心にとっては未知なるものであり無と映っている

熟睡、それは気づきと呼ばれている
気づきは思考にとっては無であるが
思考がないときそこに気づき(熟睡の観照がある)
気づきは思考を観照している
熟睡は気づきであり
マインドには未知だが
気づきを被っていたマインドが去ると本来の気づきが鏡に顕れる


鏡とは個別的霊魂(統覚機能)のことであり
個別的霊魂(統覚機能)は鏡であるが、
その鏡は現在の所、マインドによって被われている
従って鏡は自身の姿=気づきに気づかない

気づきに気づくのは気づきではなくて、気づきの
一部である現象界の接点である個別的霊魂である

気づきは気づきに気づかないからである

マインドはこの個別的霊魂から放射されており
この個別的霊魂を被っているマインドは個別的霊魂の内奥から
放射されている
といわれる

従って個別的霊魂からマインドが離れるのも
熟睡が起こしており
気づきがマインドを投射し、マインドを晴らすのではないか





【2017/02/20 10:08】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
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プロフィール

久保栄治

Author:久保栄治
皆様ようこそ

私とは誰でしょうか?

「汝自身を知れ」とは古来からの哲学者や賢人によって、言われ続けてきました。

人生で成功したにせよ、若し「自分を知る事」がなければ,それは一番大切なものを失ったにも等しいです。
とかく毎日の日常生活や家庭生活、会社での仕事のなかで自分を忘れてしまいます

では「汝自身を知れ」といわれている私とは一体誰でしょうか?若しくはなんでしょうか?
私は私の事を一番知っているのに、いまさら何で?・・・
と不思議に思われるでしょうけれども、自分を知る事とは人生の中でなかなかないことです

私達は生きていても、実際は自分を知る事は殆ど無いのです

ですから、いにしえの昔から哲人は「汝自身を知れ」と言い続けてきたのです

宜しかったらご一緒に自分探しのたびに出かけましょう

※私は如何なる宗教や団体や政治グループにも属していないので、ここでの書込は、教えや考えを押しつけたりしないで下さい

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